うたのある生活

赤人集

山高み 降りくる霧に 結ばれて なく鶯の 声まれらなり

春たたば 若菜摘まむと しめし野に きのふも今日も 雪は降りつつ

我が背子に 見せむと思ひし 梅の花 それとも見えず 雪の降れれば(万葉第八)

鶯の 鳴きつる声に さそはれて 花のもとにぞ 我は来にける

静かなる 垣根求めて いづく我が 春の在処を ともに求めむ

花の枝を 折りつるからに 散りまがふ 匂ひにあかず 思ほゆるかな

神さびて 古りにし里に 住む人は 都に匂ふ 花をだに見ず

春を見て 帰らむことを 忘るるは こだかき影に よりてなりけり

年月に まさる年なしと 思へばや 春しもつねに すくなかるらむ

飽かでのみ 過ぎゆく春を いかでかは 心にいれて 惜しまざるべき

かねてより 別れ惜しみし 春はただ 明けむあしたぞ 限りなりける

春とのみ ところどころに 惜しめども みな同じ色に 過ぎぬるかうき

はるばると あひて老いぬる 身なればや さらに涙の 流れさるらむ

今ははや 帰りきなまし 藤の花 見きとせしまに 年ぞ経にける

木伝ひし 緑の糸の よりければ 鶯とむる 力なきかな

花をのみ 訪ね来しまに 春はただ 深さ浅さも 知られざりけり

はかなくて 空なる風の 年を経て 春ふきおもる ことぞあやしき

新しき 春の山辺の 花のみぞ ところもわかず 咲きにけるかな

あと絶えて しづけき宿に 桜花 散り果つるまで 見る人もなし

年ふかく 老いぬる人の 悲しきは さける花をも たどるなりけり

近からぬ ときにひとたび 別るれば 年のみとせに 隔たりにける

別れにし 君が身を捨て いたづらに 形のかはる 身こそつらけれ

白雲は 別るるごとに 立ちぬれど 君ともにこそ ゆき隠れぬれ

別れての のちもあひ見む 遠くとて これをいづれの 時とかは知る

人を送る ともに春さへ 過ぎぬれば これから○○○ あひだなりける

ふたつとて 見えぬに月の 山ごとに 照りわたりつつ 明らけきかな

暑からず 寒くもあらず よきほどに 吹きくる風の 止まずもあらなむ

くもりなく たきは山さへ 晴れゆけば 水の色さへ あらたまりゆく

白雲の 中をやりつつ ゆく水の めでたきことは 山にぞありける

ひとりして 雲のかけはし こえゆかむ いづこのかたか 山はさかしき

ゆく水の 青き山より 落ちくれば 白雲立つと 見ぞまがへつる

沖つより 吹きくる風は 白波の 花とのみこそ 見えわたりけれ

わびてゆく 宿は光の 暮れゆけば 吹く風のみぞ 戸ざしなりける

よそにても 花をあはれと 見るからに 知らぬ山へに まづ入りにけり

さしわかで 深くあはれと 見えければ 晴れてしづけき ところなりけり

影しげき 水のあたりに 年をへて 過ぎにけれども あはれなるかな

*吹く風の 光を永遠と 思へばぞ しばしもここに 遊ぶべらなる

あやしくも 年をながらへ 独りして あくがれわたる 身とやなりなむ

天つ空 高く晴れつつ 見えつるは 暮れゆく山も 遠くぞありける

宿ごとに 花の錦を 織れればぞ 見るに心の やすきときかな

谷水の ことの音たえず あしゆれば 時のまにたる ふたたずぞきく

泣く涙 ふる袂にし うつりては 紅深き 宿とこそ見れ

別るとき 言ひつるとしの はるけきは 近きを見るぞ わびしかりける

あはれとも 我身のみこそ 思ほゆれ はかなき春を 過しきぬれば

*ひととせに またふたたびも こしものを ただひるなかに 春は残れる

鶯は 過ぎにし春を 惜しみつつ 泣く声おほき 頃にもあるかな

空蝉の 身としなりぬる 我なれば 秋を待たでぞ やみぬべらなる

鶯と 時ならねばぞ 鳴く声の 今はまれらに なりぬべらなる

限りとて 春の過ぎにし 時よりぞ なく鳥の音も いたく聞ゆる


秋ちかく 蓮はひらく 水のおもに 紅深く 色ぞ見えける

吹く風に 草も同じく なりゆけば 落つる花こそ まれに見えけれ

なく鳥の 声ふるくのみ 聞ゆるは 残れる花の 枝をこふるか

月影に なべて真砂の 照りぬれば 夏の夜深き 霜かとぞ見る

わがこころ しげきときには 吹く風の ことにはあらねど 涼しかりけり

山深く 谷をわけつつ ゆく水の 吹きつる風ぞ 涼しかりける

天の川 ほどの遥かに なりゆけば あひみることの そらめなきかな

秋の夜の 霜にたとへし 我が髪は 年のはかなく 老いしつもれば

おほかたの 秋くるからに 我が身こそ 悲しきものと 思ひ知りぬれ

おく霜に 草の枯れゆく ときよりぞ 虫のなく音も 高くきこゆる

ひととせに 一夜のみこそ 七夕の 天の川原を 渡るてふなれ

もの思ふ 心の秋に なりぬれば すべては人ぞ 見えわたりける

おほかたの 秋をあはれと 見ることも あてなる人は 知らずぞありける

つねよりも 秋の木葉は 落つらむに 紅深く 見えわたるかな

かすかなる 草の葉みゆる 秋野には もの思ふことぞ すくなかりける

過ぎてゆく 秋の悲しく 見えつるは 老いなむことを 思ふなりけり

もみぢ葉の 色くれなゐに 見えつるは なく蝉のみや なくなりぬらむ

秋の夜を さのみなきつる 虫の音は 我宿にこそ あまた聞ゆれ

ゆく雁の 秋過ぎがたに ひとりゐて ともに遅れて 鳴きわたるかな

吹く風の 音高くのみ 聞ゆるは おくつ浴衣手 寒くもあるかな

木の葉みな 唐紅に つづるとて 霜のままにも おきまさるかな

秋の夜を さむみなきつつ ゆく雁の 露をのみまて 立ち帰るらむ

東雲に おく白露の 寒ければ ただひとりして 蝉のなくらむ

秋の夜を 雁はなきつつ 過ぐれども 待つことづては みゆるよもなし

空に雁 飛ぶことはやく 見えしより 秋は限りと 思ひ知りけり

なく雁の 声だに空に 聞えなば 旅なる人は 思ひまさりぬ

なく蝉の 声高くのみ 聞ゆるは のき吹く風の 秋ぞ知るらし

いつしかと 春をむかふる あしたには まづよき風の 吹くぞうれしき

小夜ふけて なほ寝られねば 春風の 吹きつることも 思ほえぬかな

ひととせに 冬くる年は けふぞ知る ふし起きて見れど あかし難さに

ものを思ふ こころは恋に くだくれど あつきおきには 及ばざりけり

我髪の みな白雪に なりゆけば おける霜にも 劣らざりけり

年ごとに 数へこしまに はかなくて 人は老いぬる ものにぞありける

あくまでに みてなさけらに 寒きには 人のみましに 温まりけり

老いぬれば 会はばやさめて とどなしに 夜半にすぐれば 寝てのみぞふる

人ごとに またおく霜の 寒ければ 草葉をだにぞ からせざりけり

*ひとりゐて 燃ゆるほのほに 向へばや のき音もなき 身とぞなりぬる

かくばかり 老いぬと思へば 今さらに 光の過ぐる 影も惜しまず

かささぎの 峰とひわけて 飛びゆけば みやま隠るる 月かとぞ見る

雲晴れて 清き月影 けふならず あらむかぎりは 惜しみこそせぬ

別れての のちは知らぬを いかならむ ときにか人の 会はむとすらむ

そこひなく ものをぞ思ふ あかでのみ 別れし者を 思ふ我が身は

世の中を 思ひ知りぬる 心こそ 身よりも過ぎて 思ひ知りけれ

心をし 海人のうけらに なしつれば 流るる水に 沈まざりけり

はかなくて 何も我身の ひとりして あした夕べに しげくかるらむ

したなくて 空に浮べる 心こそ 夢みるよりも はかなかりけれ

我身をば 浮べる雲に なさざらば ゆくかたもなく はかなからまし

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